鷲田清一

April 06, 2010

雑誌「ハイファッション」休刊にみるリッチ・モードの在り方

51BIBO8GJ2L__SS500_high fashion ( ハイファッション ) 2010年 04月号 [雑誌]
販売元:文化出版局
発売日:2010-02-26








雑誌「ハイファッション」(文化出版局)が1960年の創刊から半世紀の歴史を経て2010年2月27日発売の4月号をもって休刊した。 最終号は『コム デ ギャルソン 自由編集』と題した60ページに渡る大特集である。

哲学者・鷲田清一氏の寄稿文が素敵だったので、イントロのみ引用。
「もしわれわれが言葉というものをもたなかったら、いま自分がどんな感情に襲われているのか、たとえば心地いいのか哀しいのか、よく分からないかもしれない。そう自問した哲学者がいる。同じように、われわれは特定の服を着、それと戯れたり格闘したりするなかでしか、自分が浸っている感情を捉えられないのかもしれない...」

付録でついていた過去ギャルソンのTシャツコレクション「ISETAN 5th ANNIVERSARY」2008 (C)フジオプロ


09i01-sabakkabk

tabloid_007 at 17:43|PermalinkComments(0)

December 07, 2008

全身で生きることの自然

otona大人のいない国―成熟社会の未熟なあなた (ピンポイント選書)
クチコミを見る

 

 

 

 

 

鷲田清一さんの最新刊。今年後半のベスト本と出合った感がある。いろいろ示唆に富んだ内容であるが、冒頭の一説を引用する。

「(略) 幼稚なふるまいが通る社会というのはしかし、皮肉にも、成熟しているのかもしれない。とくに何かのわざを身につけることがなくともなんとなく生きていける。自活能力がなくても、「一人前」にならなくても、まあそれなりに生きてゆける......(中略) 政治にかかわれる、経営もできる、みんなが幼稚なままでやってゆける、そんな社会こそもっとも成熟した社会であると、苦々しくも認めざるをえないのではないだろうか」

戦後の高度成長による社会システムの整備が人を「部分」にしてしまったのかもしれない。いまこそ、「全身で生きることの自然」を思い出し、それを受け入れなければならない。むきだしの自然を受け入れることで、人は人に優しくなれると思う。それこそが、大人の社会といえるのではないか。



tabloid_007 at 09:24|PermalinkComments(0)

December 31, 2007

待つことを忘れても、待たれていない

31638DYVX5L__SS500_待つ」ということ (角川選書)

安部前総理が突如辞任した翌日の読売新聞に鷲田清一氏のコラムを読んだ。リーダーにとって大事なのは、すべての責任をとることではなく、時に「うっちゃり」「伏せ」「かわし」のテクニックが必要と説いていた。

猛烈に関心がわき、早速本書を通読した。ケータイの出現により、「待つ」ことの出来ない社会。それが「待たない」社会になってきたという。

「待つ」というじれったい時間の中で人は育つ。「待たせる」側にも「待つ」人への駆け引きがある。ラブレターなどというのは、届くかどうかの「待ち」が"じらし"をうみ、「待つ」ことを忘れようとさえするらしい。

■鷲田 清一(わしだきよかず、1949年9月2日 - )は、哲学者。専攻は臨床哲学・倫理学。京都府京都市出身。国立大学法人大阪大学総長。

京都教育大学附属高等学校を経て、1972年に京都大学文学部哲学科卒業。1992年、大阪大学文学部助教授を経て、1996年、教授、2004年、副学長、2007年、総長(文系出身者として初めて)。

教育出版の高等学校教科書倫理の著者であり、全128ページ中、82ページを現代社会の諸問題に割くという独自色の強い教科書を作っている



tabloid_007 at 20:49|PermalinkComments(0)