July 16, 2012
魂のシネアスト高林陽一さん、宇宙へ...
魂のシネアスト―高林陽一の宇宙
著者:高林 陽一
ワイズ出版(2003-11)
高林陽一監督が昨日(2012年7月15日)肺炎で亡くなられた。81歳。
高林監督は京都の映像吟遊詩人といわれ数々の実験映画を手掛けられた。京都に小さな劇場も運営されマイナーな映画も積極的に取り上げた。まったく人がいなくても映写機をまわすという気迫で映画を愛した方だった。
私が中学生のときに、監督の実験映画「砂」をみて衝撃をうけた。また、映画青年だった私は雑誌「イメージフォーラム」で高林監督のコラムや松本俊夫氏の難しい評論を貪り読んでいたものだ。
関西在住ということもあり、高林監督に手紙をだしたら大阪の写真専門学校の高見先生に連絡するようにと返事をもらい初めて梅田でお会いした。それが中学三年生の1980年だった。
監督は、ひととおり私の自主制作8ミリ映画を見て褒めてくれた。夢みたいな話だ。中学生相手にちゃんと時間をとってくれたうえ、きちんと評価までしていただいて...。
いま考えてみたら、この時、自分の将来を確信できたのだと思う。生まれてはじめて人に評価され、生きる価値をより理解できた瞬間だった。本当に嬉しかった。だから自分の人生の恩人といっても過言ではない。なのに、その後、一度もご挨拶もお礼もできないまま30年以上の歳月がたってしまった。
数年前にオンブック出版の橘川幸夫さんに誘われた出版パーティで金融コンサルタントの室井忠道さんとお会いした。室井さんは非常にユニークな経歴の持ち主で、学生時代に会社を設立しスタン・ゲッツを来日させた。その後大物ジャズミュージシャンを招へいするプロモーターを経て金融業界に。その傍ら月刊誌「映画評論」経営されていた。その縁で、高林陽一監督作品等の映画制作にも携わったと聞き、早速連絡先を教えてもらったのだが結局連絡しなかった。後悔先に立たずである。
いま改めて思う。自分は若い才能や若い未熟さを受け止められる器量があるのか?そう自問自戒し、高林監督への哀悼としたい。
安らかにお休みください。合掌。
◆高林陽一プロフィール
京都市出身。1950年代後半から実験映画を撮り始め、63年に「砂」でベルギー国際実験映画祭審査員会特別賞。劇場映画も手がけ代表作に「本陣殺人事件」(75年)、「金閣寺」(76年)。2004年に山路ふみ子映画功労賞。