梶原一騎

March 04, 2011

「タイガーマスク基金」設立までの高森篤子さんと私の小さなストーリー

tiger1タイガーマスク基金」設立に寄せて








(C) 梶原一騎・辻なおき/講談社


昨年末から「タイガーマスク」を名乗って各地の児童養護施設などに寄付する行動が全国で1000件以上広がっている。それを受けて、施設で暮らす子どもたちを支援する「タイガーマスク基金」の設立(2011年3月1日)が発表された。
発起人の1人で漫画「タイガーマスク」の原作者 梶原一騎さんの妻 高森篤子さんも出席した。

基金は個人や企業、団体からの寄付を幅広く募り、施設の要望を調査した上で、必要に応じて経済的にサポートするのが狙い。加えて、施設を退所し社会へ巣立っていく子どもへの独立支援金や、自立を助ける活動を行う団体などへも給付していく予定。 各地で育児放棄や児童虐待が相次ぐ中、子どもたちへの支援の方法の一つとして期待が高まっている。

以下、高森篤子さんによるコメント


高森篤子さん
(「タイガーマスク基金」発起人、「タイガーマスク」原作者・梶原一騎ご夫人)


「タイガーマスク基金」への想い
もっと早く行動するべきだったという気持ちが正直なところです。
行動を起こすのに遅すぎることはないと何度も言い聞かせ、やっと今日「タイガーマスク基金」の立ち上げを迎えることが出来ました。 

主人の梶原一騎が亡くなって後、主人の意に沿っていることを確認しながら、私なりに定めた目標に向かって生きてきました。
目標達成とまではゆかないものの、ある程度見えてきた私自身の人生の全容を思う時、終着に向けての生き様が、どれほど重要であるか、そして今まで通ってきた道を良しとするため、絶対に必要な時間であることを強く意識していました。
けれど何をすべきか、何をしたら納得のできる人生だったと満足を得られるのだろう、何かをしたい、何かをしなければ、と模索し続けていた近年でした。 

そんな折に聞こえてきたのが一連の「伊達直人」運動だったのです。想像だにしない善意の行動は、連鎖となって日本中に広がってゆきました。
その時になって私は気がついたのです。おのが微力と術のなさを言い訳にして、私は動こうとしてなかったことを…。 

幕引きまで、どれほどの時間が残されているのか判りませんが、私にとっては「タイガーマスク基金」の立ち上げは、人の役に立つ、役に立たせて貰いたいという切なる想い、心からの願いなのでございます。
この運動が成功した時に、私は「本当の人間」になれるような気がするのです。
どうぞ、私を「伊達直人」の仲間に入れてください。主人との距離が近くなったような気がしています。


福田 淳
 
(「タイガーマスク基金」運営委員)


わたしは、ネット・メディアへ電子コミックなどの娯楽作品を提供する仕事をさせて頂いております。わたしが代表をつとめる企業が設立された2007年4月に、私のたっての希望で伝説の編集者 内田勝(故人)さんに顧問に就任して頂きました。ご承知のとおり、内田さんは1965年に「週刊少年マガジン」の最年少編集長に抜擢されるや梶原一騎先生と原作マンガという新しい分野を開拓し、「巨人の星」「あしたのジョー」「タイガーマスク」など、半世紀近く色褪せない不朽の名作を次々と世に送り出しました。

その内田さんのご縁で、梶原先生の奥様である高森篤子さんと出会いました。お会いした際に、高森さんが19歳の頃に愛聴していたというジョン・F・ケネディのレコード版をずっと探していると聞きました。もっともタイトルは覚えていらっしゃらず、手がかりは「ケネディ大統領の演説に合わせて"Together"というコーラスがはいるミュージカル調」ということだけでした。そこから蜘蛛の糸を辿るような捜索がはじまりました。そのレコードは、1964年にビクターから発売された 『ケネディ大統領とコーラス』であることがわかり、なんと!秋田県にある古レコード店にたった一枚だけ奇跡的に見つけることができたのです。

このレコードは、ケネディ大統領が1961年1月20日に大統領就任演説の主要スピーチから名文句をピックアップし、コーラスをミックスしたラップの先駆けのような音楽作品でした。高森さんが40年以上忘れられなかった"Together"というフレーズは、「自由の賛歌」(Let us begin)という曲で、あの有名な「国があなたに何をしてあげるかではなく、ひとりひとり皆が一緒になって何ができるのかが大事である」(What american will do for you, but what "Together" we can do)という名文句の"Together"だったのです。

そんな不思議な巡り会わせが、今度は「タイガーマスク基金」設立への参画に繋がるとは夢にも思いませんでした。しかし、高森さんの"Together"の心は、不思議と「タイガーマスク現象」の根本理念であるように思われます。誰かが勝手に何かをしてくれるのではなく、一人の勇気ある行動が皆を一緒にし、やがて大きなうねりを作ることができる。これこそが、【匿名の美徳】すなわち【タイガーマスク現象】であると考えます。


わたしも、微力ながら「伊達直人」のお仲間に入れるよう頑張りたいと思います。



b213d8bd関連記事

FNN系ニュース動画

NHKニュース

日経新聞



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January 24, 2011

【タイガーマスクこと伊達直人】 vs 【ミスターX】 vs 【KARA】=その心は?

img_984321_22274522_0タイガーマスク(1) (講談社漫画文庫)
著者:辻 なおき
講談社(2001-08-08)











「タイガーマスク」の主人公「伊達直人」などを名乗って児童養護施設などにプレゼントや現金を贈る動きが、群馬県前橋市にある群馬県中央児童相談所を皮切りに全国へ広がった。県内では25件が確認され全国では290件を超えるらしい。

漫画「タイガーマスク」の連載は1968年1月号から1969年10月号まで『ぼくら』、1970年1号から1971年53号まで『週刊少年マガジン』などで連載された。アニメは、1969年10月から1971年9月までNTV系で放映。つまり、タイガーマスクこと伊達直人は、40年前のヒーローなのだ。その伊達直人を名乗る2010年の善意の人たちは、近年のパチンコの影響もあると思うが、想像するに1970年前後にティーンだった50歳前後と思わせる。

最初は、2010年12月のクリスマス。児童相談所の玄関前に箱10個あった。中にランドセルが10個入っており、カード送り主の名が伊達直人だった。主人公が孤児院出身ということから名前を使用されたのだろう。年明け以降、「伊達直人」名の贈り物や現金が、全国各地で続々と寄せられており「タイガーマスク運動」ともいえる社会現象になった。

さて、かくいうワタシも「タイガーマスク」の大ファンだった。アニメの再放送を繰り返しみた。特にエンディングの「みなし児のバラード」は何とも物悲しく心に焼きついた。



さて、そんな話題の「タイガーマスク」の内容だが、伊達直人は、ある孤児院で育てられる。そこに悪役専門レスラーを養成『虎の穴』という組織から勧誘を受ける。その組織のトップが"ミスターX"。彼は、秘境の地で覆面の悪役レスラーを育成し、自社の所属レスラーとして興業するのだ。その際の独占契約の内容が極悪非道な描き方をされるが、実はファイトマネーの50%の取り分という、着うたや電子書籍の卸値よりも安価な設定なのである。

話は脱線するが、先週から話題になっている韓国アイドル[KARA]の取り分の方がもっと酷い!メンバー5人で売上の2%弱しか支払われない。2010年の収入が180億ウォン(約13億円)というから2600万円。それを5人で割ると1人520万円...。う~む、ミスターXが良心的な人にみえてきた(笑)

さて、「タイガーマスク現象」の影響で、原作漫画「タイガーマスク」全7巻(梶原一騎原作、辻なおき画)を刊行する講談社には、合計1万部以上の書店からの注文が殺到しているという。さらに増刷することも検討しているという。

ケータイで今すぐ読みたい方は、ここからダウンロードできます。
携帯サイト「全力書店」から半角カタカナで「タイガー」と検索してください。
http://zbk.me/



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May 29, 2010

"怪獣シゴトン"こと故 内田勝さんの蔵書整理:本の中にも記事があり...

IMG_0006-s雑誌をつくった編集者たち
著者:塩沢 実信
販売元:広松書店
発売日:1982-01










2010年5月6日、ソニー・デジタルエンタテインメントが借りている川崎の倉庫に行き、天才編集者 内田勝(故人)の蔵書(ダンボール65箱分)の整理を行った。貴重な企画書や資料、著者からの献本やレア本、一般書籍の3つに区分けした。そして、一般書籍は古本屋に引き取ってもらった。未亡人によれば、内田さんは生前 本をゴミ扱いで捨てた若い時分の奥様を叱責したことがあったという。以来、本は必ず流通する形で処分する方針となった訳だ。約7千冊の一般書籍は今後も古本屋を通じて人々に流通する。それ以外の本については、引き続きソニー・デジタルで大切に保管する。

その中に上記の中央公論からダカーポなど、明治から昭和の名編集長21人のドラマをヒューマンドキュメントという形で取材した本があった。中には、「少年マガジンのモンスター」という章で内田勝さんも取り上げられており、中に古い新聞の記事が挟み込んであった。記事は2つあり、1つは、1983年12月24日付けの朝日新聞「当世人間気質 -編集長は語る-」ということで、雑誌『ミス・ヒーロー』の編集長になったばかりの48歳で内田さんのインタビューが掲載されていた。もう1つは、1983年5月31日付けの朝日新聞・夕刊「『劇画の星』暴走の末路」という梶原一騎氏のスキャンダル記事である。内田勝と梶原一騎...「巨人の星」でタッグを組み、一世を風靡してから20年後の話である。

そんな二人の記事が同じ本の中で更に30年の年月を経て、ワタシの手元にあるというのは、誠に奇なる縁である。

明日は、内田さんの三回忌である。入間にある「正法寺」に墓参りに行くつもりだ。

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August 29, 2009

空に輝くたくさんの星を星座にした男

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著者:梶原 一騎
販売元:日本文芸社
発売日:1987-05

 

 

 

 

先日、内田さんの一回忌で梶原一騎の未亡人である高森篤子さんと雑談していた。ワタシは、かねてからどうして手塚治虫賞、赤塚不二夫賞にならんで漫画原作の梶原一騎賞がまったく記録としてネットなどにひっかからない、というのは何という不名誉なことだろうと思っていた。むろん、梶原氏の晩年のトピックスの数々がスキャンダラスであったことは間違いない。しかし、亡くなって既に22年経っている。再評価の時期ではないのか。

この死期を予期していたかのようにはじまり、未完のまま終わった本書を再度読み直し、弟の真樹日佐夫さんとの異常なまでの兄弟愛には心打つものがある。梶原原作をケータイコミックの形で発表できないか模索している。

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June 27, 2009

内田勝さんを偲ぶ会

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昨夜2009年6月26日、銀座コートヤード・マリオット銀座東武ホテル(旧銀座東武ホテル)で、内田勝さんを「偲ぶ会」が開かれた。藤子不二雄(A)先生、楳図かずお先生、永井豪先生、森田拳次先生など多数の方がお越しになった。
 

内田さんの生前の映像や写真を見ていると亡くなって1年も経ったなんて信じられない。三五館の星山社長の挨拶にあったが、人は二度死ぬ、と。一度は肉体の死、そしてもう一つは、二百年くらいたって皆の記憶から無くなった時に、二度目の死を迎える。逆にいえば、それまで内田さんはその偉業と共に我々の記憶の中で生きているのだ。



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April 11, 2009

一歩もあとに帰る心なし...芭蕉

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「コミックボックス」少年マガジン特集'99/1号

 

 

 

 

 

以前、といっても2007年1月にもブログで取上げたが、改めて読んでみた。以下、内田勝さんのインタビュー抜粋。

『 好奇心の一語に尽きます。「猟奇」や「偏奇」ではなく、自由で自然体のまま「珍奇」を楽しみ、「新奇」に心を踊らせる。なにか新しいこと、珍しいこと、この世に2つとないことを常に探し求める。具体的には、人に会う、活字を読む、音楽を聴く、映画やアニメを観る。旅をする。骨董を蒐める。酒を飲む。とにかく何かを徹底的にやることを通じて、自分以外の人と共感し合える場が広がるわけだから、これを"道"といってもいい。』

下記は、1970年1月号の「週刊少年マガジン」巻頭グラビアで、「1枚の絵は1万字にまさる」(コピー 大伴昌司) というグラビア時代を宣言した。

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March 18, 2009

内田勝と梶原一騎を結ぶ点と線

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日本郵便『週刊少年漫画50周年』

 

 

 

 

 

 

週刊少年マガジン、サンデーが昨日3月17日で創刊50周年を迎え、記念して切手シートが発売された。サンデーのラインナップをみると、「おそ松くん」著:赤塚不二夫、「まことちゃん」著:楳図かずお、「プロゴルファー猿」著:藤子不二雄(A) など少年向らしいラインナップが堂々とならぶ。一方で、マガジンはといえば、「タイガーマスク」「巨人の星」「空手バカ一代」「あしたのジョー」「愛と誠」など10作品のうち半分を梶原一騎 原作の劇画が占める。もちろん、「天才バカボン」著:赤塚 不二夫、「ゲゲゲの鬼太郎」著:水木しげる、などもある。考えてみたらすべて内田勝さんが編集長をやっていた時代の作品である。

思えば、昨年の今頃 内田さんと2009年の3月17日に向けた企画を精力的に話し合っていたことを思い出す。ああ、内田さん!今日という日を一緒に分かち合えなくて残念です! 内田さんが生きていたらきっと、ここ数年のコミックの在り方に関して一家言、茶目っ気たっぷりに語ってくれたはずである。

そして、この記念切手が発売されてもなお梶原一騎氏の偉業が正当に評価されず、全集も発売されていないことを一緒に憂いてくれたと思う...

合掌



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March 08, 2009

また、みんなに会えて「ありがとう」の会

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高森篤子さんの誕生日会

 

 

 

 

 

 

期せずして、週刊現代で復刻連載がはじまった「あしたのジョー」著者:高森朝雄 (故 梶原一騎)の奥様である高森篤子さんから嬉しい招待があった。高森さんの誕生日会を六本木のディスコ(!) 「ナバーナ」で開催されるという。老若男女 歌えや踊れの楽しいひと時だった。

案内に「私へのプレゼント持参の方、入場不可」という但し書きがあったが、その意味は高森さんの挨拶で真意が明らかになる。誕生日が毎年来ること、365日誰にもくること。この素朴な喜びを「ありがとう」という感謝の気持ちで感じたい、という主旨から、ただみんなに会えることの喜びを分かち合ったわけなのである。

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April 06, 2008

転生輪廻の人生

懺悔録 (幻冬舎アウトロー文庫)
これほど時代に抹殺された男はいない。あれほどの作品、あれほどの表現、あれほどの情熱...すべては過去のものなのだろうか?

梶原一騎のファン層は現在でも確かに存在するが、それは生きていた頃からの梶原一騎という存在の余韻であり、作品評価と必ずしも結びつくものは少ないような気がする。

いま、ワタシは梶原作品を少しずつ読み返している。そして、その全貌まではまだまだ到底辿りつけないが、作品から片鱗を垣間見ることはできる。その断片から全体を想像するのだ。

ある程度、梶原作品を読み終わったら、梶原一騎作品復権に向けて動きたいと思う。

⇒ アマゾンで入手可能な作品群(819作品・重複あり)

⇒ ヤフーオークションで入手可能なモノ



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March 30, 2008

恋人たち達の鐘の音は海に消える

koi1『恋人岬』昭和52年封切・松竹映画

 

 

 

 

 

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梶原一騎原作、牧美也子作画の漫画「恋人岬 【コミックセット】」は、1977年に公開されたかヒットしなかった。梶原一騎の自伝に寄ればグアムに到着した不機嫌な松坂慶子を喜ばせるために、宿泊ホテルの従業員に大スター扱いさせ、すべく歓迎の垂れ幕から主題歌で松坂を迎えるといった趣向をこらしたらしい。

残念ながら、この映画は、ヒデオ化とこかしDVD化もされておらず、原作コミック同様 封印された作品なのである。

 ◇「恋人岬」伝説とは=悲恋の伝説として語りつがれ、結ばれない運命の男女二人が離れ離れにならないようにお互いの髪同士を縛り、海に身を投げた場所と伝わる。 そのためか展望回廊もタモン湾を見下ろせる断崖に迫り出す形で設置されている。
銀の鐘と呼ばれる鐘があり、鐘を愛し合う二人共が鳴らすと、この上ない幸せが訪れるとされる



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March 22, 2008

ネット検索不可情報に歴史あり

めざせ漫画家手塚・赤塚賞受賞作品集 5 (5)
先日、『ギャグマンガ日和』の増田こうすけ氏のデビュー作「夢 -赤壁の戦い-」(第49回赤塚賞で準入選、当時は「増田耕助」『月刊少年ジャンプ』1999年5月号掲載)を読むために「めざせ漫画家!手塚・赤塚賞受賞作品集」単行本を探した。

とっくに絶版だったためオークションで落札しまくったか、本シリーズは、1988年1月から1997年7月までの約10年間分を全20巻が刊行したもので、ギリギリ掲載されていない。トホホ...

それはさておき、手塚賞(1971年〜)と赤塚賞(1974年〜)は年2回公募による読切作品を選考する集英社の新人賞である。手塚治虫の名を冠してはいるが、手塚生前も名前を貸しているだけの感があり、手塚自身が積極的に参加していたのは連載を持っていた少年チャンピオン新人マンガ賞の審査の方だった。

実は新人漫画原作者のための「梶原賞」も存在していたが、梶原一騎の暴力事件をきっかけに集英社は「手塚賞」「赤塚賞」と共に漫画界の登竜門の中では高い権威を誇っていた「梶原賞」を廃止された。

現在、梶原賞を受賞した作家や賞の歴史などネットで検索してもまったくひっからないという寂しい状態である。

↓手塚賞・赤塚賞 歴代受賞者リスト
http://www.jfast.net/~shelter/wj/tezuka.html



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January 19, 2008

王道あれば、脇道あり、わき道に楽しみあり

manga-1マンガ地獄変
吉田豪をはじめ、濃い〜メンバーによるゾンビコミックを徹底討論。梶原一騎から好美のぼるまで愛なくしては語れない裏舞台の数々。これは解説するより読むべきだな。http://gosan.cocolog-nifty.com/

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March 18, 2007

死ぬ気がないのに辿り着くグアムの岬

maki恋人岬 [少女向け:コミックセット]
阿佐ヶ谷の駅前にある喫茶&出版社である『よるのひるね』に行ってから、ますます牧美也子作品にのめり込むようになった。中年になって牧作品に出会えたことが嬉しい。子供ならさっぱり判らないだろう。それに、本作は1970年代の週間明星での連載だから余計縁はなかったわけだが...

今度は、梶原一騎原作で後に映画化もされた「恋人岬」を読んだ。いつもの牧タッチで美しい女性が運命に翻弄されながらも、なぜか必死の抵抗はしないという独特の審美眼は変わらぬが、梶原の原作にかかっては、なぜか主人公はトラウマを打倒しなければならなくなる。ここに原作ものの不思議なテイストが発揮される。主人公の目に炎はないが、いつもと違う根性がはいってる感じ。必読の書。

ちなみに、映画版「恋人岬」(1977年製作)脚本は石松愛弘、監督は「春琴抄」の西河克己。



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January 01, 2007

デザインに主張があった頃

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「コミックボックス」少年マガジン特集'99/1号

1970年5月24日号から9月13日号までの約3ヶ月半近く、少年マガジンの表紙デザインを9回分横尾忠則が手がけた。あしたのジョーから鉄腕アトムまで、きちんとアートになっている。しかし、実は10回目のデザインは没になったものの存在する。

1971年の新年号。赤地に金文字のマガジンロゴが入り、谷岡ヤスジのムジ鳥が「バカ、糞して寝ろ!」と絶叫している。

 

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