宇田川悟

August 26, 2012

本【書斎探訪】(著者 宇田川 悟):ノマド時代に書斎の話も悪くない

JUHYGU書斎探訪
著者:宇田川 悟
河出書房新社(2012-05-17)











ノマドの時代に書斎の話である。

宇田川悟さんが、各界20人の書斎を訪ね、その空間、設計、使い勝手などを質問する。いつもながら、宇田川さんの質問は相手のことを充分に知り尽くした上で、時に控えめに 時に鋭いツッコミをいれる。

相手は待ってましたとばかり 過去の書斎の歴史や設計思想など語ることになる。これは、一見 物書き、クリエイターの仕事場訪問にみえるが、よくよく話を聞くと、書斎の主の脳内そのものの開陳に他ならないことがわかる。

本の場所や資料を探す方法などは、その人の思考回路と同期する。非常に綺麗で生活感のない書斎は見栄っ張りなひと?乱雑に見えて その実 機能的な書斎はロジカルな人?などと邪推してしまう。

インタビュー対象に女性がいないのは、男性の社会性の無さの表れ?もしそうだとすると、話は飛躍するが、引きこもりは昔からあったということなのかもしれない。

子ども部屋の発想自体 男の発想だろう。子ども部屋の概念は1960年代の高度成長期に生活様式が長屋から戸建てになり、核家族化がすすんだことで開発された。

この時に、子ども部屋を与えられた子どもたちがオタク第一世代と思う。部屋では、切手・コイン収集や王冠を集めて見せあって、近所の秘密基地の代替えになった。

その前の世代では若者が大人になるステップに家出というのがあった。家をでると街には悪い兄貴がいて社会の怖さを教えてくれる存在だった。息が詰まる大家族から脱皮でき大人になれた。寺山修司が「書を捨てよ、町へ出よう」といった世代である。

近年30年間の企業姿勢は、子ども達を家にいさせる戦略だったと思う。1983年の任天堂のファミコンは近所の不良のたまり場であったゲームセンターを壊滅させた。映画館はテレビにとってかわられ、DVDやブルレイ、オンデマンドの時代になった。これらの企業メッセージは「家が便利だから、家にいなさい」なのである。だから、ちゃんと引きこもり世代がうまれたのだ。良いか悪いか別として、現代では家出してもたいしてワルはおらず社会勉強にならない。それならば、家をでないで引きこもりながらスマホでもいじってた方がマシってなもんだろう。

つまり書斎の話は立派な大人だけの話じゃなく、発展的な引きこもりの発想にもつながるし、そもそもノマドなどというのも書斎の一形態ではないかと思う。

自分の秘密基地を見直したい方におススメ。

蛇足。

本の中で、結局 書斎があっても、騒々しい近所の喫茶店やファミレスで仕事してます、という意見が多々あり 人間そう簡単に引きこもれないのだなと微笑ましかった。

tabloid_007 at 23:16|PermalinkComments(0)

November 23, 2011

対談集【最後の晩餐  死ぬまえに食べておきたいものは?】(著者 宇田川悟): 何を食べたいかよりも、誰と食べたいかが大事。

IMG_0008最後の晩餐: 死ぬまえに食べておきたいものは?
著者:宇田川悟
晶文社(2011-08-05)











宇田川悟さんが16人のさまざまな業界の方々に「最後の晩餐」を尋ねる対談集。

同じ質問を友だちや通りすがりの人に聞いてみたが、この質問の本質は食べたいものではなく、誰と食べたいかという話に落ち着くことが分かった。

フレンチだろうが、ご飯とみそ汁だろうが、家族なのか恋人なのか そこが大事なのだろう。女性は結婚してても恋人いても、両親っていうのが多い。男は...彼女とか考えてるんだろうけど、そういう事情を考えたら、いまから最後の晩餐相手を考えといたほうが良い。やはり野郎ばっかのバーベキューしかないか?笑

一番感動した答え。京都のタクシーの老運転手さん。「そうやなぁ、まあなんでもいいけど、家内の得意料理かなぁ」じわ〜

ちなみに、わたしの最期の晩餐は、誰と食べたいかは別として、下記のようなラインナップに共鳴してくれるすべての人(場合によっては一人でも!笑)と食べたい。あまりグルメじゃないので、親しんだ味ということになる。

・ 西麻布「こんぶや」の湯葉のカニクリーム揚げ。銀座「大羽」の親父が調理する松茸。赤坂「榮林」の酸辣湯。麻布十番「三幸園」のキムチ。銀座「吉武」のべったら。六本木「はてな」の豚玉お好み焼き。これらをちょっとずつつまみながら、麦焼酎「中々」のロックで。




以下、本書からの抜粋

・ 作家 島田雅彦さん

日本人が、会社から家に帰る間に「居酒屋」を挟むのは、帰宅のプロセスの中で役割の変化をさせるためである。抑圧されている自我を解放させる。「わかるわかる」というガス抜き。アメリカ人は、それをやらないから、ピッュと郊外の家に帰るので、カウンセラーとか精神分析医が必要になる。

人はほうっておけば死にますが、本能として死により接近したがる。食べる=生きるという意味でエロスとタナトスの関係種。

・ 作家 奥本大三郎さん

日本料理は引き算、フランス料理は足し算。日本料理は、魚でも皮とって内臓とって、丸裸で料理する。フレンチは、血まで含めてソースに至るのまで頭から先まで全部使う。

日本は補助金のせいで国土の7割近くが人工林になってしまった。しかも、すべてスギなどの針葉樹ばかり。表土に何も育たなくなる。広葉樹が多ければ、葉っぱから虫がでたり、落ち葉に植物プランクトンが発生したりして川の水が豊かになる。そういう豊かな環境でイワナ、アユなどの魚が育つ。そういう環境のことを「魚付林」(うおつきりん)という。


・ 放送作家 小川薫堂さん

鮨屋は、食べ手のセンスが問われる。行きつけの鮨屋は、自分の本棚を覗かれるのと同じ。おやじの人柄であるとか、ネタの選び方とか、自分の価値観やセンスが具現化されたイメージが鮨屋にはある。

・ 銅版画家 山本容子さん

版画家は半分職人でじゃないと駄目なんです。その上でアーティストの感性がないと続けられない。必ずアルティザン的なところがないと、アーティストになれない。分けて考えるのが間違っている。料理の場合も同じでちゃんとした熟練工になるべく、やらなきゃいけないとはいっぱいある。

やはりご飯が一番偉いかな。お米は身体に負担がかからないし、食べ過ぎてもちゃんと消化してくれる。蕎麦はダマになって固まっちゃうし、スパゲティもお腹の中で膨らむから内臓が疲弊していくと思う。

・ 食生活ジャーナリスト 岸朝子さん

朝御飯抜きの幼児は元気がないばかりか、時には「お腹がすいた」と泣き出す子もいるとか。子どもは大人に比べると食べる量が少ない。エネルギーをすぐ使い果たすわけ。朝、元気がないのは当たり前。だからこそ、朝御飯をたべさせなきゃいけないの。「命は食にあり」ということです。

母がよく言っていた「悲しんでいる人には、美味しい御飯をたべさせなさい」。そのあとに必ず「美味しいものを食べている人は怒らない」

食卓というのは会話も大事だし、子どもたちの会話能力や思いやりの心を育て、人間関係を学ぶ場所なんです。昔から「同じ釜の飯を食う」という言葉があるように、人と人をつなげるもの。

食べ物はお腹がすいたから食べるだけじゃなくて、加えて心を満たすもの。

戦後は「胃袋で食べる時代」。昭和30年代は「舌で食べる時代」。昭和40年代は「目で食べる時代」。昭和50年代は「頭で食べる時代」

・ 作曲家 千住明さん

音楽と料理はひじ用に似ている。両社とも時間芸術であり、色彩芸術であること。それに、創造性やイマジネーションが必要です。熱中する作業も、出来上がりの解放感も似ている。

・ 司会者 楠田枝里子さん

チョコレートと人間の付き合いは、三千年の昔まで遡ります。マヤ、アステカでは長いことカカオは王族や勇敢な戦士たちなど選ばれた人たちのための万能薬として使われていた。嗜好品としては160年ぐらいで、実は三千年にもわたる薬としての歴史があった。

(最後の晩餐) ベネズエラ産クリオロ種カカオ72%のチュコレート一片。それにシャンパンを添えて。

tabloid_007 at 15:10|PermalinkComments(0)