内田樹

January 10, 2011

本「疲れすぎて眠れぬ夜のために」(著 内田 樹): 愛の言葉はいつも平行線。意味のやりとりではない。だから愛してる。

IUUHHI疲れすぎて眠れぬ夜のために (角川文庫)
著者:内田 樹
角川書店(2007-09-25)











ワタシ自身、この題名のように眠れないことはまったくない。本当にのび太のように眠ってしまう。題名にとらわれずに読んだほうがいい。内田樹さんの透徹した独自の人間考察が面白く、ある意味では興奮して眠れないということはあるかもしれない本なのである。

下記、面白かった箇所の抜粋。

「ビジネスの愉しさは、お金が儲かることではなく、新しいことをすると、その結果がすぐに出る、その「反応の速さ」にあります。これは、『マーケットは間違えない』という前提の下、全員が一つのルールに対して同意し参加しているゲームです。ほかの人間関係ではこれほどわかりやすくはありません。多くの人がお家にいるよりも会社にいるほうが好きなのは、だから当然なんです」

「人間が仕事に求めているのは、突き詰めていえば『コミュニケーション』です。ただ、それだけです。やったことに対して、ポジティブなリアクションがあると、どんな労働も楽しくなります。(中略) まだコンピューターが初期のころ、アメリカで『イライザ』というソフトが開発されました。こちらが何かメッセージを打ち込むと、返事をするソフトです。『イザイラ』は新しい情報を伝えるわけではありません。自分が発したメッセージに対して『あなたのメッセージを受け取りました』というメッセージを返してくるだけです。これを神経症の治療に使ったら、はっきりとした効果があったそうです。(中略) 要するに『やりとり』をするのが人間性の本質だということです。それさえ満たされれば、人間はかなり満足を得ることができます。」

tabloid_007 at 23:21|PermalinkComments(0)

April 30, 2010

『現代霊性論』 (著 内田樹 釈徹宗) : 幽霊はここにいるか!?

REISEI現代霊性論
著者:内田 樹
販売元:講談社
発売日:2010-02-23










最近、この本が面白くていろいろな人に薦めている。帯がイカしてる。「お葬式、占い、霊能者、タブー、新宗教、カルト、UFO...『スピリチャル毒』にあたらないために...」 ワタシもSF世代なので、UFOや精神世界の話は大好きである。だが、行き過ぎちゃった人を随分みてきたので、一定の歯止めをかけて暮らしているのだと思う。そこへ哲学者と宗教家が真正面からこれらのテーマを扱うというのだから読まないわけにはいかない。

人が生きているうえで宗教とのかかわりなく生きていくことはできない。信じるとか信じないという話ではない。自分の宗教心の問題でもない。親族の法要にいったり、試験の時におまじないしたり、ジンクスを信じたりすることすべてが人の宗教性なのである。これらの感覚をまったく無視して生きていけない、ということを平易に説明してくれる。いろいろ面白い話が詰まったいるので関心の持ったところだけ要約。

・ WTO(世界保健機構)=1998年に「健康の定義」の中に「健康とは、完全な肉体的、精神的、霊的及び社会的福祉の活力ある状態であり...」ということで、はじめて「霊的」を言及。しかし、翌年この定義はWHAで否決

・ 靖国問題=霊に個別性があるか。霊の自分らしさは生きている者の想像である。生きている側が自分の欲望を死者に投影している。近代になって初めて霊が個別性をもった

・ 言葉には「負の力」を転換する機能がある。兵庫県の「生野」は昔「死野」とよばれていた。銀の採掘により有毒ガスで生き物が死んだが、その後名を変えることでイメージが変わった。宴会は「しまい」ではなく、「おひらき」とするとことでポジティブにできる

・ 言葉によって呪いがかかる=予言の自己成就。占いを言葉で反芻するうちに、そうなってしまう。「32歳まで結婚できない」と聞くと本当に「効く」

・ 「呪い」が現代社会では活発に機能している。ネットには毎日数十万の単位で「殺す」「死ね」などという攻撃的な言葉が溢れている。霊が具体的・計量的に存在しなくても。あたかもそれが存在するかのように、言葉に影響され自殺する人がいる以上、霊的なものはあると言わざるを得ない

・ 現代社会は、宗教観が崩れた。その縛りがなくなった分、都会では「占い」「スピリチャル」が求められる。全民放が「今日の占い」を放映することもその傾向か

・日本の宗教回帰現象は3回=1回目:1868年 明治維新。2回目:1945年 敗戦。3回目:1980年 1975年のベトナム戦争の米軍敗北により30年続いた「アメリカン・ドリーム」が終焉。オイルショックにより、地球資源の限界に気付く。続いてオカルトブーム到来

・「直会」(なおらい)=一緒にご飯を食べる。共同体の維持。みんなで一緒に食べる「共食」に対して「個食」。家族が一緒でも全員が別々に食べる。外で食べる「外食」、過程で素材から作って食べることが「内食」。近年は、コンビニなど外で買ってきたお惣菜を家で食べることを「中食」といい、定着している

・「境界線」=境界線には儀礼が発生する。現代では境界が入り組んでおり、他人との共有部分をなくしたい傾向がある。「自立」「自己決定」など他社との差別化を図ろうとするが、人間は自己責任や決定など出来ない。確固たる自己があるという出だしに間違いがある

・ 宗教性の誤解:自治体が無料配布するカレンダーに六曜[大安や友引]があると宗教的と怒る市民がある。小学校で給食事「いただきます」といったら宗教的儀礼と非難した人がいる。葬儀の後の「お清め」は、死者を「穢れ」と捉えているので反対する人もいる

・ 方向が決める運命=「渋谷ロフト」を設計した人。江戸時代の地図を参考に、人通りの多い場所に共通する要素を発見。ゆるい坂の先に風景がみえる導線に人が集まる。細い路地、けもの道も人気

・ 宗教とは=愛とか労働とか言語と同じレベルのもの。信じるものでもなく、ただ宗教があった。貨幣も性愛も同じで、人間が同意してできた欲望ではない。だから、自己決定できないことを論じても仕方がない。宗教の必要性に関する議論も無意味

tabloid_007 at 23:32|PermalinkComments(0)

December 07, 2008

全身で生きることの自然

otona大人のいない国―成熟社会の未熟なあなた (ピンポイント選書)
クチコミを見る

 

 

 

 

 

鷲田清一さんの最新刊。今年後半のベスト本と出合った感がある。いろいろ示唆に富んだ内容であるが、冒頭の一説を引用する。

「(略) 幼稚なふるまいが通る社会というのはしかし、皮肉にも、成熟しているのかもしれない。とくに何かのわざを身につけることがなくともなんとなく生きていける。自活能力がなくても、「一人前」にならなくても、まあそれなりに生きてゆける......(中略) 政治にかかわれる、経営もできる、みんなが幼稚なままでやってゆける、そんな社会こそもっとも成熟した社会であると、苦々しくも認めざるをえないのではないだろうか」

戦後の高度成長による社会システムの整備が人を「部分」にしてしまったのかもしれない。いまこそ、「全身で生きることの自然」を思い出し、それを受け入れなければならない。むきだしの自然を受け入れることで、人は人に優しくなれると思う。それこそが、大人の社会といえるのではないか。



tabloid_007 at 09:24|PermalinkComments(0)