January 04, 2009
一夜の夢にかけた人たち
イベントプロデューサー列伝―事起こしの成算と誤算
著者:森 彰英
販売元:日経BP出版センター
発売日:1995-09
相変わらず、小谷正一さんの文献を読み漁っている。本書で新たに判明したことを下記に追記した。本書では、正力松太郎から堤清二まで19人のプロデューサーが取上げられているが、中に電通 副社長になった豊田年郎さんがとりあげられていた。ワタシがはじめてお会いしたのが、22歳の時だから、もう21年前(1988年)になる。都市開発センター室長(1986年発足)をされていた。当時は、博覧会ブームで、神戸ポートアイランド博(81年)、北海道博(82年)、大阪城博(83年)、天王寺博(87年)、さいたま博、瀬戸大橋架橋記念博、ならシルクロロード博、ぎふ中部未来博(88年)、横浜博、世界デザイン博(89年) などほとんど電通が仕切っていた。これらは、すべて大阪万博(70年)を起点として沸き起こったものである。改めて小谷さんのDNAを感じる。
1912年 兵庫県姫路市の呉服屋長男として生まれる
1934年 早稲田大学 国文科卒業
1936年 『毎日新聞』入社 事業部配属
* 戦時中は、奇術師、浪曲師を連れ戦地慰問
1946年 『大阪新聞社』(夕刊新大阪) 報道副部長として設立に関わる
1947年 西宮球場で闘牛大会を開催(1.25)
* 井上靖 芥川賞作品の題材となる
* 「欧州絵画名作店」阪急百貨店7階で倉敷・大原美術館の絵画展を催事として初めて開催し、闘牛の赤字をチャラにする。
* 「道頓堀まつり」 中座
* 「日本交響楽団コンサート」(後のNHK交響楽団)
* 新聞で初めてサンウ・サンペイの四コマ漫画を開始
1949年 『毎日新聞』 事業部長
* 「パ・リーグ創設」し「毎日オリオンズ」創設
1951年 『新日本放送局』(現 毎日放送) 編成局長として日本初の民間ラジオ放送局開局に関わる。最終的には常務取締役
* 井上靖「貧血と花と爆弾」の題材
* 米バイオリニスト ユーディ・メニーインの放送権を取得
1953年 『ビデオホール』設立 (放送番組収録用ホール)
1954年 ダヴィッド・オイストラフ(ソ連のバイオリニスト)を招聘
* 井上靖「黒い蝶」の題材となる
1955年 マルセル・マルソー(パントマイム)日本に初めて招聘
1956年 『大阪テレビ放送』総合企画室長として設立にかかわる(後に専務)
1956年 「週刊新潮」発刊に参加
1960年 『電通』 ラジオテレビ局長 (その後、最高顧問)
1962年 電通プランニングセンター室長(主幹)
* 吉田秀雄とNYでマッキャンエリクソンの中にある"ティンカーグループ"参照
* 弟子ともいえる堀貞一郎がチューインガム「ハリス」とマガジン「ハリスの旋風」タイアップ
1964年 電通 社長室顧問
* 横浜・科学遊園地「サイエンス・ランド」企画するも、吉田秀雄死去(1963.1.27)により頓挫
1966年 『デスクK』個人事務所設立
1970年 大阪万博では住友童話館、電力館をプロデュース
1972年 著書「当らん・当り・当る・当る・当れ・当れ」発売
1980年 『ビデオテックス』設立
1985年 第1回 『東京国際映画祭』総合プロデューサー
1987年 NHK放送文化基金 番組審査委員会委員長
放送批評懇談会 会長
横浜こども科学館理事
1992年 80歳、永眠