November 24, 2012
コラム【日本人養成講座】(著者三島由紀夫)想像力は、現実が空虚な時に現れる幻のようなものである。
著者:三島由紀夫
平凡社(2012-05-27)
三島由紀夫のコラムは、中高生の時に貪るように読んだ。小説はほとんど読んだことがない。私の三島作品との出会いは、安倍公房である。彼との対談を読んで、なんともふたりの主張が水と油くらいに違うのに、共通の基盤というか知的好奇心を刺激し合う同志のような親密な雰囲気を感じ、読むようになったのだ。
だから、いくつかの小説を読んで自分の好みには合わないのだけれど、コラムや社会批評のようなものは、興味深く読んだものだ。
今回、会田誠さんのブックカバーで新装版がでていたので読んでみた。
以下、記憶に残った個所の抜粋&引用。
・ 西洋では古代や中世以来の石の建築がのこっている。
日本の伝統は、木と紙で出来ていて、火をつければ燃えてしまうし、放置しておけば腐ってしまう。
・西洋ではオリジナルとコピーの間には決定的な差があるが、木造建築の日本では、正確なコピーはオリジンナルと同価値を生じる。
・危急に際して行動に熱中し、生きることのすべての力を注いでいるときには、想像力のほとんどを持つことが出来ない。もし、想像力がノイローゼの原因になるとすれば、空襲にさらされた戦争中の日本だろう。人々の想像力の糧は、すべて戦争という事業に集中していたのである。
・芸道とは何か?それは「死」を以てはじめてなしうることを、生きながら成就する道である、といえよう。これを裏からいうと、芸道とは、不死身の道であり、死なないですむ道であり、死なずにしかも「死」と同じ虚妄の力をふるって、現実を転覆させる道である。
・スポーツにおける勝敗のすべて虚妄であり、オリンピック大会は巨大な虚妄である。それはもっとも花々しい行為と英雄性と意志と決断のフィクション化なのでだ。
・愛という言葉は、日本語ではなく、多分キリスト教からきたものであろう。日本語としては「恋」で十分であり、日本人の情緒的表現の最高のものは「恋」であって「愛」ではない。
以上