マガジン

June 27, 2009

内田勝さんを偲ぶ会

Uchida_magazine 永遠『少年マガジン』

 

 

 







 

 

 

昨夜2009年6月26日、銀座コートヤード・マリオット銀座東武ホテル(旧銀座東武ホテル)で、内田勝さんを「偲ぶ会」が開かれた。藤子不二雄(A)先生、楳図かずお先生、永井豪先生、森田拳次先生など多数の方がお越しになった。
 

内田さんの生前の映像や写真を見ていると亡くなって1年も経ったなんて信じられない。三五館の星山社長の挨拶にあったが、人は二度死ぬ、と。一度は肉体の死、そしてもう一つは、二百年くらいたって皆の記憶から無くなった時に、二度目の死を迎える。逆にいえば、それまで内田さんはその偉業と共に我々の記憶の中で生きているのだ。



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May 10, 2009

ライバルが切り開くコミックメディアの世界

MAGAZINEサンデーとマガジン (光文社新書)
著者:大野茂
販売元:光文社
発売日:2009-04-17

 

 

 

 

 

NHKエンタープライズの大野茂さんが刺激的な本を出した。「サンデーとマガジン」。ここまでは普通。副題が「創刊と死闘の15年」とあるから、なかなか刺激的な内容である。さらに、今月の2009年 5月5日 NHK総合 『ザ・ライバル「少年サンデー・少年マガジン物語』でも同様のテーマを事実を基にしてフィクションの要素も加えた番組として制作された。

いまから、半世紀前 1959年3月17日に日本初の週刊少年マンガ誌として、「少年サンデー」(小学館)と「少年マガジン」(講談社)ともにに創刊された。つまり、大野さんが「死闘」と位置づけた期間は、準備期間の1958年暮れから数えると1973年までを指す。実は、もっとも両社が熾烈な戦いを展開していたのは、創刊時と1965-67年の2年間を指すのではないか。なぜなら、この期間に雑誌の損益分岐点(黒字化)である100万部への発行が射程内にあったからだ。ちなみに、先に達成したのがマガジンで、大伴昌司のウルトラ怪獣などの巻頭グラビア、「巨人の星」(1966年5月15日連載開始)の人気により、1967年1月8日号で達成。実は「天才バカボン」(1967年4月9日号開始) 「あしたのジョー」(1968年1月1日号開始)は、100万部達成後の連載開始なのである。

一方、サンデーは...大野氏の著書から引用。「当時(1966年後半)の平均で80-85万部刷って、返本もほとんどがなく、売上率も98%まで行っていたことがある」。その勢いで、小西編集長(当時)は、奇しくもライバル誌と同じ1967年の新年特大号で100万部の申請をするが、担当役員から広告収入の不足を理由に却下される。その後、小西氏のあとを継いだ高柳編集長(1967-69年)時代にも100万部を達成することがなかった。

この壮絶な「死闘」は、出版人としてコミックをひとつのメディアとして社会に受け入れさせるためにも商業的な成功が必要だった。それが達成できなければ、コミックは、ゾッキ本や貸本と同じ運命を辿っていたかもしれないのだ。だから、ライバルに追いつけ追い越せという戦いと同時に商売としてのコミックを成立させなければならなかった。

さて、その「死闘」の主がテレビ番組では架空の設定になっていたが、下記の歴代編集長一覧を見ていただければ明らかだが、この「死闘」を演じたライバルふたりは紛れもなく、サンデー=小西湧之助、マガジン=内田勝なのである。

『週刊少年サンデー』
豊田亀市(1959年 - 1960年)
木下芳雄(1960年 - 1963年)
喘水尾道雄(1963年 - 1965年)
小西湧之助(1965年 - 1967年) * 67年11月移動
高柳義也(1967年 - 1969年)

『週刊少年マガジン』
牧野武朗(1959年 - 1964年)
井岡秀次(1964年 - 1965年)
内田勝(1965年 - 1971年) * 71年6月移動

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ワタシもたいへんお世話になった内田勝さんの一周忌が今月の5月30日である。この時期に、内田さんの偉大さを改めて再確認することができ、また2009年現在、われわれ娯楽産業にかかわるものが、このコミックメディアの変遷を単なる過去の歴史にしないで、現在のアクチュアルなものとして捉えることが必要と思う。

余談: 藤子不二雄(A)先生のインタビューで、「オバケのQ太郎」のネーミングが安部公房の小説の登場実物「Q」からの由来ときき驚いた。



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April 11, 2009

一歩もあとに帰る心なし...芭蕉

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「コミックボックス」少年マガジン特集'99/1号

 

 

 

 

 

以前、といっても2007年1月にもブログで取上げたが、改めて読んでみた。以下、内田勝さんのインタビュー抜粋。

『 好奇心の一語に尽きます。「猟奇」や「偏奇」ではなく、自由で自然体のまま「珍奇」を楽しみ、「新奇」に心を踊らせる。なにか新しいこと、珍しいこと、この世に2つとないことを常に探し求める。具体的には、人に会う、活字を読む、音楽を聴く、映画やアニメを観る。旅をする。骨董を蒐める。酒を飲む。とにかく何かを徹底的にやることを通じて、自分以外の人と共感し合える場が広がるわけだから、これを"道"といってもいい。』

下記は、1970年1月号の「週刊少年マガジン」巻頭グラビアで、「1枚の絵は1万字にまさる」(コピー 大伴昌司) というグラビア時代を宣言した。

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March 18, 2009

内田勝と梶原一騎を結ぶ点と線

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日本郵便『週刊少年漫画50周年』

 

 

 

 

 

 

週刊少年マガジン、サンデーが昨日3月17日で創刊50周年を迎え、記念して切手シートが発売された。サンデーのラインナップをみると、「おそ松くん」著:赤塚不二夫、「まことちゃん」著:楳図かずお、「プロゴルファー猿」著:藤子不二雄(A) など少年向らしいラインナップが堂々とならぶ。一方で、マガジンはといえば、「タイガーマスク」「巨人の星」「空手バカ一代」「あしたのジョー」「愛と誠」など10作品のうち半分を梶原一騎 原作の劇画が占める。もちろん、「天才バカボン」著:赤塚 不二夫、「ゲゲゲの鬼太郎」著:水木しげる、などもある。考えてみたらすべて内田勝さんが編集長をやっていた時代の作品である。

思えば、昨年の今頃 内田さんと2009年の3月17日に向けた企画を精力的に話し合っていたことを思い出す。ああ、内田さん!今日という日を一緒に分かち合えなくて残念です! 内田さんが生きていたらきっと、ここ数年のコミックの在り方に関して一家言、茶目っ気たっぷりに語ってくれたはずである。

そして、この記念切手が発売されてもなお梶原一騎氏の偉業が正当に評価されず、全集も発売されていないことを一緒に憂いてくれたと思う...

合掌



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November 16, 2008

これでいいのだっちゃ♪

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来年の3月に「少年サンデー・少年マガジン」創刊50周年となる。その記念コラボの一環としてセブン-イレブンでフェア実施中。関連商品を700円買って、くじにチャレンジできる。賞品が総計6060名様に当たる。

まず、さりげないラムちゃん の電車の中吊広告のセンスがよろしい。そして、当然、「これでいいのだチロルチェコ」ですよ!

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March 17, 2008

49歳のバースデイ!マガジン&サンデー

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SUNDAY3月17日『漫画週刊誌の日』

 

 

 

 

 

1959(昭和34)年の今日、日本初の少年週刊誌「少年マガジン」と「少年サンデー」が創刊された。

講談社発行の「少年マガジン」は一冊40円で、表紙は大関 朝汐太郎で、小学館の「少年サンデー」は30円。表紙を飾ったのは、野球界のスーパースター長嶋茂雄だった。

「少年マガジン」の創刊号に収録されていた連載漫画は、「13号発進せよ」(高野よしてる)「左近右近」(忍一兵)「疾風十字星」(山田えいじ)「冒険船長」(遠藤政治)「天兵童子」(矢野ひろし)「新吾十番勝負」(水島順)「もん吉くん」(伊藤章夫)この後、昭和35年の「怪傑ハリマオ」(石森章太郎)が人気となる。


一方、「少年サンデー」は、1959年4月5日号として創刊されているのだが、実はマガジンと同日の1959年3月17日火曜日に創刊されている。4月5日が日曜日なので、読むとまるで日曜日のように楽しい気分に浸れるようにという初代編集長豊田亀市の発案によるものでだった。
創刊号の表紙を飾ったのは、当時読売巨人軍の主力選手だった長嶋茂雄で、巻末には児童心理学者の波多野勤子が祝辞を寄せている。

連載漫画は、「スリル博士」(手塚治虫)「ローンレンジャー」(山田常夫)「南蛮小天狗」(益子かつみ)「海の王子」(藤子不二雄)「スポーツマン金太郎」(寺田ヒロオ)「宇宙少年トンダー」(横山隆一)

サンデーは、その後「伊賀の影丸」(横山光輝)「おそ松くん」(赤塚不二夫)「少年ケニヤ」(石川球太)など黄金時代を築く



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April 01, 2007

ジョーのあしたが大事

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NHK EYE-TV『あしたのジョーの、あの時代』 〜団塊世代 心の軌跡 〜

 

 

内田勝氏からこの企画のことを聞いたのは数ヶ月前、さすがNHKである。切り口が鋭い。この春段階の世代が大量に定年退職を迎えた。

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彼らの生きるを支えたものに「あしたのジョー (1)」がある。最大のライバルである力石を失ったジョーは、彷徨いながら自立を目指す。そうジョーの話は力石との戦いの歴史ではないのだ。力石がいなくなった後、どう生きるかという話だったのではないのか。



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January 01, 2007

デザインに主張があった頃

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「コミックボックス」少年マガジン特集'99/1号

1970年5月24日号から9月13日号までの約3ヶ月半近く、少年マガジンの表紙デザインを9回分横尾忠則が手がけた。あしたのジョーから鉄腕アトムまで、きちんとアートになっている。しかし、実は10回目のデザインは没になったものの存在する。

1971年の新年号。赤地に金文字のマガジンロゴが入り、谷岡ヤスジのムジ鳥が「バカ、糞して寝ろ!」と絶叫している。

 

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