サテマガ

July 16, 2013

月刊「B-maga」(2013年7月号):福田淳 連載コラム【世界遺産と梅雨明け宣言】

B-maga表紙月刊B-maga 2013年7月号
サテマガ・ビー・アイ(株)(2013-07-10)











今月の私のコラム「考えるメディア」(No.134)は【世界遺産と梅雨明け宣言】

世界遺産に認定されたから富士山を守ろうという発想は、梅雨明け宣言したから雨が降らなくなった!というのと同じくらい滑稽なことだと思う。現実より言葉が勝っちゃってる。自然は、人の言葉など関係なく存在する。だから、本来は自然のあとから言葉がついてきたのだ。

でもまあ、その魔法の言葉で世の中がよくなれば良いんだけどね。

「ミシュランガイド」に選ばれなくても名店は地元商店街にいっぱいあるってことだ。

是非、ご一読を!



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June 25, 2013

月刊「B-maga」(2013年6月号):福田淳 連載コラム【売りになる政治家の失言】

B-maga_6月号月刊B-maga 2013年6月号
サテマガ・ビー・アイ(株)(2013-06-10)












今月の私のコラム「考えるメディア」(No.133)は【売りになる政治家の失言】

政治家の失言はマスコミにとって大好物である。その特質を熟知しているはずの橋下さんも慰安婦問題では終始劣勢にたたされ、ついに都議選では大敗のキッカケとなってしまった。

政治家失言→マスコミ騒ぐ→言い訳する→部数伸びる→釈明する→視聴率上がる→謝罪→ゴシップ誌も参戦...以下、繰り返す。

失言の場合の火消しは...ノーコメント→部数も視聴率もあがらない...報道終了。

ってなことを考察している。

是非、ご一読を!



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May 29, 2013

月刊「B-maga」(2013年5月号):福田淳 連載コラム【デザインがつくるSF世界が“現在”】

B-maga表紙月刊B-maga 2013年5月号
サテマガ・ビー・アイ(株)(2013-05-10)












今月の私のコラム「考えるメディア」(No.132)は【デザインがつくるSF世界が“現在”】

現代社会の便利は、すべて過去に計画デザインされた上に成り立っている。馬よりも早い移動手段として車が発明され、手紙より早いコミュニケーション手段として電話が発明された。しかし、モノが溢れる現代では“便利=進歩”でないのかもしれない。

機能美から寛容美。新幹線で移動するより歩いて移動するほうが楽しいこともある。メールより直接会って話したほうが良いこともある。そういう触れ幅について考察した。

是非、ご一読を!



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March 02, 2013

月刊「B-maga」(2013年2月号):福田淳 連載コラム【メディアを読み解く力】

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サテマガ・ビー・アイ(株)(2013-02-10)













今月の私のコラム「考えるメディア」(No.129)は【メディアを読み解く力】

先日、アルジェリアでの邦人人質事件で被害者の名前を公表するしないという論争があった。犯人との微妙な駆け引きがあれば別だが、自国が他国との今後の補償問題や安全性の確保の点で誰がどう被害にあったかという情報は世界に発信する必要がある。
感傷的な観点からの情報公開を見送るのはどうかと思う。

マスコミの義務とか遺族への配慮っていう問題ではない。



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February 03, 2013

月刊「B-maga」(2013年1月号):福田淳 連載コラム【広告トラフィックとしての人の命】

B-maga201301月刊B-maga 2013年1月号
サテマガ・ビー・アイ(2013-01-10)












今月の私のコラム「考えるメディア」(No.128)は【広告トラフィックとしての人の命】

昨年11月22日に豊川で起きた「信用金庫立てこもり事件」でネットでの生放送が問題になった。報道協定はネットメディアに及ばず、人質の安全より野次馬根性が勝った。すべては視聴トラフッィクをあげ広告収入をあげることなのだ。

悲劇は、随時ネタにされ見世物になる時代背景について考察してみた。

ぜひ、ご一読くださいませ!



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August 05, 2012

月刊「B-maga」(2012年7月号):福田淳 連載コラム【ステマを見抜くソーシャル時代の目利き力】

IMG_0003月刊B-maga 2012年7月号
サテマガ・ビー・アイ(2012-07-10)












今月の私のコラム「考えるメディア」(No.122)は【ステマを見抜くソーシャル時代の目利き力】ということで、ウェブのステマは問題になって、テレビのステマはまったく問題にならないのはなぜか?ということを考えてみた。

タレントがお金をもらって宣伝するのは当たり前、ウェブだとタレント自身の好みと思われ、雑誌だとお金をもらっていると思い込まれたのはなぜだろう?ソーシャルメディア時代には、他のコンテンツと同じようにタレントも無報酬で働かなければならないのか?

ぜひ、ご一読くださいませ。

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June 11, 2012

月刊「B-maga」(2012年6月号):福田淳 連載コラム【射幸心の虜は人の性】

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サテマガ・ビー・アイ(株)(2012-06-10)












今月の私のコラム「考えるメディア」(No.121)は【射幸心の虜は人の性】ということで、
最近何かと話題のソーシャルゲームのコンプガチャ問題について考えてみた。

考えてみたら、パチンコやギャンブルや果てはアルコールなど、人が陥る依存症はソーシャルゲームに限らない。私なんか、一時期スターウォーズの王冠集めるのにコーラ買いまくってた時期もあった。つまり、多かれ少なかれ消費者を煽るのがマスメディアの役割であるとさえいえる。大事なのは受け止める人の自制心に対する教育の問題化かもしれない。

ぜひ、ご一読くださいませ。

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June 02, 2012

月刊「B-maga」(2012年5月号):福田淳 連載コラム「『いいね!』が社会を『よく』する日」

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サテマガ・ビー・アイ(株)(2012-05-10)












今月の私のコラム「考えるメディア」(No.120)は「『いいね!』が社会を『よく』する日」ということで、便利を加速させるネットの良さだけではなく、ネットを利用して現実をどうよくできるのか考察してみた。

フェイスブックの中で起きている「いいね」は、実に平和な状態における「いいね」であって、現実に危険が及んでいる時や場所とは無縁の存在である。しかし、われわれが平和に暮らしている間にものっぴきならない“リアル”が存在することを忘れてはならない。


ぜひ、ご一読くださいませ。

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April 21, 2012

月刊「B-maga」(2012年4月号):福田淳 連載コラム「自称占い師とワイドショーの違い」

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サテマガ・ビー・アイ(2012-04-10)












月刊「B-maga」(2012年4月号):福田淳 連載コラム「自称占い師とワイドショーの違い」


今月の私のコラム「考えるメディア」(No.119)は『自称占い師とワイドショーの違い』ということで、洗脳という観点(反証を受け入れない構造)では同じようなものではないかと思う。洗脳で奪われた心から体を取り戻すための方法は何か。

テレビに限らず、ネットでもその世界の中で生きている限り、リアルな現実の時間が減少し脳の世界の中で暮らすことになる。脳の世界は“考える世界”であり心の世界である。それも悪くないが、やはり現実の体の時間をとらないと、頭でっかちになってしまうのではないか。心技体というが、体を取り戻すための心のありようは何か考えてみた。


ぜひ、ご一読くださいませ。

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March 25, 2012

月刊「B-maga」(2012年3月号):福田淳 連載コラム「コンテンツ流通の新しいカタチ」

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サテマガ・ビー・アイ(2012-03-10)












今月の私のコラム「考えるメディア」(No.118)は『コンテンツ流通の新しいカタチ』ということで、20世紀型 大量消費前提のメガ・メディアであるテレビや新聞から21世紀型 特定小集団に向けたウェブやソーシャルメディアへの新しいコンテンツの在り方について考えてみた。

企業から消費者へ...だけではリーチしないのは消費者が広場から密林に移住したとも考えられる。だから、優秀な通訳やコーディネーターを雇って口伝えに伝搬させなければならない。そういう時代のコンテンツ事例を紹介。

ぜひ、ご一読くださいませ

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January 22, 2012

月刊「B-maga」(2012年1月号):福田淳 連載コラム「距離感ゼロの恐怖」

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サテマガ・ビー・アイ(2012-01-10)












今月の私のコラム「考えるメディア」(No.116)は『距離感ゼロの恐怖』ということで、ソーシャルメディアが流行れば流行るほど、人と人の距離感がなくなってくるのではないか?

最初は良かったのかもしれないが、Facebookなど慣れてくると知らない人からの申請は別として、知ったばかりビジネスマンや大昔の恋人まで繋がらなくてはならなくなる!

日本人の得意とする“間”の文化はどこにいったのか?詫び、寂びの中に“間”を見つめ想像を楽しむ。そういう余地がなくなってきているという話。

ぜひ、ご一読くださいませ。


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December 19, 2011

月刊「B-maga」(2011年12月号):福田淳 連載コラム「職業としてのアイデアマン」

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サテマガ・ビー・アイ(2011-12-10)











今月の私のコラム「考えるメディア」(No.115)は『職業としてのアイデアマン』ということで、仕事の中でも"企画"とか"アイデア"ほど評価されず報われないものはない。

空気はタダと同じように、生まれながらにアイデアがわいてくるものと思っている。しかし、アイデアくらい熟練された経験と発想が必要なものはない。秋元康さんや糸井重里さんなどは、建物を建てるわけでもモノを納品するわけではない。でも、立派にアイデアを生計の柱に据えている。


そういうアイデアに対する対価の構造をきちんと作ることで社会がより豊かになるのでは?という話。

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October 23, 2011

月刊「B-maga」(2011年10月号):福田淳 連載コラム「籠の中の鳥がチェックインすべ場所」

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サテマガ・ビー・アイ(2011-10-10)












今月の私のコラム「考えるメディア」(No.113)は『籠の中の鳥がチェックインすべ場所』ということで、ネット上での自分とは何か?実名でfacebookでチェックインする反面、匿名で2ちゃんねるで悪辣なことを書く人間とは何か?を考えてみた。

世界は自分がコントロールできるかもしれないという錯覚を増長させたのがネットメディアではないかと思う。ネット以外にも人生はあり、検索の外にも素晴らしい"知"は存在する。しかし、それを忘れさせてしまうのはどうしてか。

ネットの外の銀河系はどうなっているか?という自分がコントロールの利かない世界に興味をもって、さらにそれを畏れ尊厳の気持ちを持つことが、人類が生態系のトップと錯覚することから逃れる思考方法ではないかと思う。

現実はどう考えても、逆なのだが...。自然があって、チリが地球を作って、ヒトが生まれて、機械を作っただけなんだが、どうも"現代"という瞬間的な場所に生まれると大きな錯覚をしてしまう。実にヒトが近視眼的で愛すべき存在ということなんだな。

まあ、そんなことを 日々つらつらと考えてます。


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September 17, 2011

月刊「B-maga」(2011年9月号):福田淳 連載コラム「ネット住人の乱」

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サテマガ・ビー・アイ(2011-09-10)












今月の私のコラム「考えるメディア」(No.112)は『ネット住人の乱』ということで、昨今のツイッター"一粒"で巨大メディアを揺るがす事態について考えてみた。

かつて、テレビがアイドルや有名になることの夢を発信していた。しかし、ネットの出現により、夢の実現が1%以下であることが明らかになったのだろう。痛みを伴わないバーチャルな鬱憤がデモブームを復刻させた。果たしてネット世代は、イベント感覚のデモを通じて"痛み"を恢復させることができるのだろうか。

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August 28, 2011

月刊「B-maga」(2011年8月号):福田淳 連載コラム「アナログテレビ放送終了が意味するテレビメディアの終わり」

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サテマガ・ビー・アイ(2011-08-10)


今月の私のコラム「考えるメディア」(No.111)は『アナログテレビ放送終了が意味するテレビメディアの終わり』ということで、デジタルに乗り越えなきゃ、というより、もうテレビいらないや!と思った人たちの気持ちを考えてみた。

テレビがないことが情報格差や貧乏を意味しない時代である。もちろん、震災時のライブ感や報道の信頼性はたまだに健在だが、ネットをはじめ情報のリソースが多様にある現代のテレビのあり方について考えてみた。



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