November 20, 2011
本【メディアの興亡】(著者 杉山 隆男):1960年代の新聞社の栄枯盛衰。コンピュータ化はアポロ計画に匹敵する難事業だった。
メディアの興亡〈上〉 (文春文庫)
著者:杉山 隆男
文藝春秋(1998-03)
1960年代、新聞社は巨額の赤字を前に変革を迫られていた。そして、日経新聞が新聞づくりを徹底的にコンピュータ化しようと決意する。それは、当時にしたらアポロ計画に匹敵する巨大な難事業だった。
当時の背景やその後 長期にわたって日経新聞の社長を務める円城寺次郎氏を中心としたルポルタージュである。
実は、わたくしごとで恐縮だが、うちの祖父 福田薫も円城寺氏との出世争いの候補としてでてくる。
わたしの祖父は、日経新聞がまだ株屋の新聞だった中外物価新報(1942年10月31日に廃刊し日経と改名)頃に早稲田を卒業して入社している。相撲担当の記者だった。
福田薫(1902年生 - 1968年没)は、1945年(昭和20年)12月5日に、43歳で総務局長に出世している。これは、戦争責任をとって上層部が辞任したことによる若返り人事たった。祖父は、退役陸軍少将 唐原与次 の後任だった。
1907年生まれの園城寺氏も同時期に編集局長に就任している。
その後、祖父は、1965年10月に不況の影響により専務取締役(営業担当)を辞任し、ホットなメディアに成長しつつある日本教育テレビの副社長として転出する。事実上の左遷である。同じ時期に円城寺氏は、常務取締役(主幹・出版企画担当)から専務に昇格している。このあたりが最大の見どころになっている。
祖父は、その3年後亡くなる。数十年後 祖父の書斎で「副社長という仕事」という本を見つけたことがある。勤勉な人だったんだな。また、祖父は新し物好きで、ソニーのオープンリールや9.5mmカメラなどメカはたくさく残っている。わたしの3歳の時の声や映像などかなり残っている。そういう性格の一部に自分のDNAをみる思いである。
非常に個人的な雑感で失礼。


