May 15, 2011
映画「ラブリーボーン」(監督 ピーター・ジャクソン):人は亡くなった人の身体から霊を送り出し納得できるものなのかもしれない...
ラブリーボーン [DVD]
出演:マーク・ウォールバーグ
角川映画(2010-07-02)
本作を見てから、数週間が経つ。娘をもつ親としては、なかなか簡単な感想を書くことができない。
ストーリーは、近所の変質者に殺害されてしまった14歳の少女・スージーが、天国から家族や友人、そして犯人の人生を見届ける話、といってしまえばそれまでなのだが。
もう少し詳しく書くと、 スージー・サーモン(シアーシャ・ローナン)は、14歳のときにトウモロコシ畑である者に襲われ、殺されてしまう。そしてスージーは天国の手前にたどり着くが、父(マーク・ウォールバーグ)は犯人探しに明け暮れ、母(レイチェル・ワイズ)は愛娘を守れなかった罪悪感に苦しむ。崩壊していく家族の姿を見てスージーは天国の一歩手前(煉獄?)から残された家族に真犯人発見のための手ががりを与えようと必死に訴えかける。ほとんどが、その願いは
届かないが、強烈な"念"はたまに風になって届く程度。この歯がゆさが、現実的な描き方なのだ。
この映画は徹頭徹尾、亡くなった娘の視点から描かれているが、"無念"よりも家族に対する"未練"がある。仏教的にいえば、成仏しきれてない状況。遺体が発見されていないので、魂が抜けきれないという心魂一体という考え方がベースにある。
戦争でも必ず遺体を収納しなければ、という考え方も、この霊魂が身体の中にあるという感覚からくるものなのだろう。
つまり、人は...生きている人は、亡くなった人の身体の保全から霊を送り出し、納得できるものなのかもしれない。そう簡単に理解できることではないが、そう考えるのが、生き続けるのの合理性なのかもしれない。
tabloid_007 at 20:38│Comments(0)│
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