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January 23, 2011

「ケータイ小説」は、なぜ一過性ブームで終わったのか考察してみた。

k-bunsyo_AD大人が読む。ケータイ小説―第1回ケータイ文学賞アンソロジー
オンブック(2007-12)







撮影:梅佳代


いまから5年前の2006年初頭、デジタルメディア研究所の橘川幸夫所長との雑談から始まったのが、この「ケータイ文学賞」である。この賞がその後のケータイ小説ブームの火付け役となった。

その第二回目の募集でキービジュアルを撮影したのが、人気写真家の梅佳代ちゃん。実は、先週大阪出張のときに この広告モデルになってくれた藤本君に5年ぶりに会ったのだ。当時藤本君は、「うめ写め。」というネット連載の撮影のため泊まったホテルのスタッフで入社数日の18歳青年だった。梅佳代ちゃんが撮りたい!と叫びこの見事なショットが実現した。その藤本君も今や23歳...といっても若い!ということは、ケータイ小説世代も、社会人になったのだなぁと感慨深いものがある。

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さて、話を「ケータイ小説ブーム」に戻すと、実は我々の「ケータイ文学賞」とほぼ同時期に始まった [魔法のiらんど] 主催の「日本ケータイ小説大賞」の方が「ケータイ小説」認知に貢献したと思う。というのも彼らは、ゴマブックスと組んで「赤い糸」(著者:メイ)などの大ヒットを連発していたからだ。もちろん、テレビ局もこぞってケータイ小説原作のドラマ化・映画化を行った。

「ケータイ文学賞」は、PCで書かれたものも受け付けたのに対して、「日本ケータイ小説大賞」の方は、もともとティーンの携帯日記的なコミュティサイト[魔法のiらんど]を活用して、携帯で描かれたケータイ小説を扱ったことが同世代に大きな影響力をもっていたと思う。読み手と書き手が一緒だという直感がアタった。

公式サイトと非公式サイトの違いもあった。非公式サイトの方が、遥かに集客できたのではある。ただ残念ながら、その後ゴマブックスは潰れ、[魔法のiらんど]は角川書店に身売りした。そして当方の「ケータイ文学賞」も全2回でやめてしまった。

しかしながら、ワタシはこの分野を諦めたわけではない。むしろ、以前より一層成功の可能性を秘めた分野と考えている。近々、その具体的な提案を行いたいと思うが、やはりその前に「ケータイ小説」が一過性のブームに終わった要因分析をすべきと思う。以下は、ある特定の企業のことを指摘しているのではない。かつて多くのケータイ小説を"新しい儲けの種"と考えたIT企業群を念頭に考察してみた。まず...


・ ケータイ小説家を育てるための新しい編集者が育たなかった。

書き手が素人ということもあり、既存の大手出版社はこの世界を勉強しなかった。また、ケータイ小説を扱う中小出版社は、ビギナーズラックで出現した大量新人に二作目を書かせる力量がなかった。まして、ケータイサイト運営のIT企業に編集者など存在しなかった。


・ ケータイで描かれたケータイ小説は読者が作者になれる。

コミニティ・サイトの存在が、80年代のミニコミや現在のコミケと通じるエネルギーを持っていた。日記の延長線上で小説が発表できる。はじめて [魔法のiらんど] を見たとき驚いた。ほとんどのユーザー(女子中高生中心)の日記は、公開・非公開を選択できるのに公開を選んでいた。誰でも、明日から自称小説家になれたのだ!


・ トラフィック連動広告収入というビジネスモデルが脆弱だった。

運営サイトの収入は、出会い系などの小規模企業のリンク広告だった。ユーザーに、援助交際や詐欺などトラブルが多発し、その後のフィルタリングのきっかけとなる。当然ながらフィルタリング後にそれらのサイトをサポートする大手企業はなかった。また、運営企業も小説という娯楽作品を提供している意識に乏しく、日記でも小説でもトラフィックさえあれば良しと考えていた。ブーム終焉時は、出版社と出版印税の配分で揉める話ばかりが聞こえてきた。


・ ケータイ小説家は職業にあらず。

書籍化されても、著者は素人同然だったため、不当に印税が安かった。出版社だけではなく、売り込んだサイト側も無料提供してヒットした背景からプロモーション印税を求めた。このような複雑な背景から、ヒットをだした著者たちは冷静だった。みな、青春の一時期の思い出として、そのまま就職活動に戻ったものも多くいたという。



以上のような要因から、ケータイ小説は急速に衰退したと思う。しかし、現在も電子書籍は専用端末からアンドロイド端末まで幅広く注目された分野である。村上龍さんのようなお金をとれるようなプロがやれば、電子であろうと紙であろうと成立するという考えもある。ケータイ世代が大人になったから、いまこそ本格的な内容がまとめられているという説もある。何が今後の電子書籍ビジネスの基本になるか各社模索が続くだろう。

ただ言えるのは、時代は常に「新しいメディアに新しいコンテンツ&サービス」を提供したものだけに勝利の女神がほほ笑むということだと思う。

tabloid_007 at 16:40│Comments(0) Mobile 

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