TEDの魅力:最大の娯楽コンテンツは、音楽でも映像でも文学でもなく"トーク"なのだ。西武アキラ"Washed ashore":ウォールドローイングというのはアーティストにとって音楽ライブみたいなものだろう。

January 04, 2011

ウィキリークス創業者 ジュリアン・アサンジ氏: 「(私の)価値観は、有能で親切な人間は犠牲者を生みだすのではなく、犠牲者を助けようとすることです。」

1215cover-thumb-200xautoNewsweek (ニューズウィーク日本版) 2010年 12/15号 [雑誌]
阪急コミュニケーションズ(2010-12-08)










これも、ちょっと古い号の「ニューズウィーク」。話題のウィキリークス特集である。
今さら、説明する必要はないかもしれないが、念のためWikiLeaksとは...(以下、無関係なウィキペディアから抜粋)

ウィキリークス (WikiLeaks) は、匿名により政府、企業、宗教などに関する機密情報を公開するウェブサイトの一つ。創始者はジュリアン・アサンジ。投稿者の匿名性を維持し、機密情報から投稿者が特定されないようにする努力がなされている。2006年12月に準備が開始され、それから一年以内に120万を超える機密文書をデータベース化している

2010年12月に大量に米国外交に関する25万にも及ぶ文書をリークしたことで、ジュリアン・アサンジ氏はすっかりイラクの故フセイン大統領のようにな悪者に仕立て上げられてしまった。さて、ウィキリークスのやっていることは、「勝手に他人の情報を盗み取って、勝手に公開する犯罪行為」なのか?マイケル・ムーアが擁護するように、イラク戦争がはじまる前に大量破壊兵器なんて存在しないっていうことをリークしていたら、無用に人々が殺される必要がなかったとする考えもある。今回のブログ記事では その是非はおいといて、ウィキリークスの何が新しく、何が違和感なのか考えてみた。

まず、音楽業界の変化が分かりやすい。98年のCD販売をピークに現在の市場は2/3に縮小した。同時にインディーズが台頭し、ネット時代に突入。音楽は大きな販売網を持つ大企業ではなく、個人が気軽にネットを使って世界販売できるようになった。(ただし、個人が可能であるということとヒットを出すようなマーケティングスケールは違う。)

いずれにせよ、技術の進歩に対して大手がついていけないというのではなく、単に個人商売が全体に占める割合が増えたので、総体的に大手が苦しくなったのだ。昔なら吉祥寺の路上で歌っていても、レコード会社の人が見染めてくれなければ永遠に路上ミュージシャンだった訳だが、ネット時代は個人が個人の才能を発見し、それで成立してしまう。プロモーターなどのミドルマンの必要性が少なくなったのだ。

これは、出版でも同じ。通常 紙なら著者は出版社から10%の印税を受け取るだけだったが、電子書籍の時代は、アップルに30%手数料を取られるだけだから、70%が著者印税となる。だが、取り分と販売総数は別問題で、大手から10%しかもらわなくても、紙の出版社が電子書籍の7倍以上売ってくれれば、トントンになるわけだ。

しかし、元から出版社に相手にされないような個人が寄ってたかって電子書籍を販売すると、自ずと市場の均衡が崩れる。どんな時代でもヒトの可処分時間には限りがあるからだ。ここでもネットを介在させ個人が個人を直接評価させることで経済価値が生まれ、ミドルマンがいらなくなった。

さて、最後の恐竜は新聞業界なのである。近年の日本の新聞メディアは庶民の味方と言いながら、お上の代弁者だった。署名記事を書くほどのスターを育てず、記者クラブ依存の匿名体質は、誌面を堕落させた。新聞は新聞としての主義主張はもっていても、記者の個性は認めなかった。昨年、一時期すべての主要新聞に目を通していた時期があるが、一番個性的だったのは日刊ゲンダイだった。事実は、通信社からくる。取材は記者クラブからくる。足でかせいだ独自のネタなど上司は掲載してくれない。たまにスクープをとっても、政治や検察やスポンサーの調整で握りつぶされてしまう。そんなぬるま湯体質に気が付かないほど読者はバカではない。だから、ネット世代にとって新聞記事はヤフーの一分野でしかなくなったのだ。

そこへ現れたのがウィキリークスなのである。ウィキは、音楽業界、出版業界にとってのアップル(こう書くとアップルに叱られるが、これは誉めているのだ)になるかもしれないのである。ウィキリークスへの誤解の中に裏取りしないとか、ハッカー集団なのではという話もよくでるが、彼らは基本的には裏取りし、そうでないものは出典を探すようだ。またコンピューターおたくのハッキングではなく、内部告発者の良心を探そうとする。すべてうまくいっている訳ではなさそうだが...それでも従来の新聞記事のように「検察関係者の証言によると...」などという都合の良いリークより遙かにましだと思う。ウィキリークスの話題が一般化した理由の一つに米在外公館から本国への通信で各国首脳を戯画化したことがあげられる。確かにワイドショーネタとしては面白い。

だが、日本の大手新聞社にまだプロがいるならば、ウィキリークスから公開される25万点の中の日本に関する情報の精査と、それに基づく取材をして欲しいと思う。それらの情報精度の如何によっては、新聞の情報源である通信社の中にウィキリークスを加えるくらいのダイナミズムが欲しいものである。新聞社全体ではなく、記者個人が新聞の個性を発揮できなければ、ユーザーはミドルマンとしての新聞社を必要ないものと考えるだろう。

さて、下記は2010年7月にTEDに招かれたジュリアン・アサンジ氏の対談。是非、この映像をよくみて彼が卑劣なハッカーなのかどうか見極めてほしいと思う。



tabloid_007 at 21:15│Comments(0) Magazine 

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TEDの魅力:最大の娯楽コンテンツは、音楽でも映像でも文学でもなく"トーク"なのだ。西武アキラ"Washed ashore":ウォールドローイングというのはアーティストにとって音楽ライブみたいなものだろう。