楳図かずおの「赤」が若い「赤」の理由自分の人生には説明責任はない。何も正当化しないで生きて良い。

February 21, 2010

ウィリアム・ケントリッジが提示する希望を含まない絶望について...

wkウィリアム・ケントリッジ展
「歩きながら歴史を考える
そしてドローイングは動き始めた...」
William Kentridge — What We See & What We Know: Thinking About History While Walking, and Thus the Drawings Began to Move...

2010.01.02-02.14
東京国立近代美術館 企画展ギャラリー



ウィリアム・ケントリッジ(1955年南アフリカ共和国生まれ、ヨハネスブルグ在住)の木炭とパステルで描いたドローイングとそれらを素材としたアニメの大規模な個展にいってきた。本展は、ケントリッジとの3年間にわたる緊密な協力と広範な準備作業を経て実現されるもので日本初の個展。1970年代末の初期作から2008年制作の近作までを網羅した約120点の作品(19点の映像作品、36点の素描、63点の版画など)が展示された。

いままでケントリッジ作品は、YOUTUBEで眺めるしかなかった。改めて作品をみてブルーノ・シュルツの小説を想起した。怒りを出せないような社会状況が背景にある。ただ諦めるのではなく、とめどない怒りが猛烈なイメージによって紡ぎだされるとでもいったらいいのだろうか。絶望が希望と同じコインの表裏の関係であって欲しい。ケントリッジ作品からインスパイヤされる豊かなイメージは、いまある不安を気付かせる。そして、そこから受けるポジティブなエルネギーを次の瞬間に持ち越すしかないのである。

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tabloid_007 at 19:56│Comments(0) Art 

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