August 15, 2009
死ぬ時はいつも他人
デュシャンは語る (ちくま学芸文庫)
著者:マルセル デュシャン
販売元:筑摩書房
発売日:1999-05
マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp)の回顧録を読んだ。デュシャンのこの一見華々しい美術史の経歴からは想像できないような静謐なムードただよう回顧録である。デュシャンの人生は、これほどの自己否定、変遷を繰り返すアーティストの円熟があった。
デュシャンは、1913年26歳のときに、ニューヨークの美術展「アーモリー・ショー」にフランスから出品した「階段を下りる裸体」が話題になり、その2年後 居をNYに移し名声を得た。
しかしその時既に油彩画の制作はやめてしまった。その後、「花嫁は彼女の独身者たちによって裸にされて、さえも」通称「大ガラス」と呼ばれるガラスを支持体とした作品の制作を続けていたが、これも未完のまま1923年に放棄。
以後数十年間は「レディ・メイド」と称する既製品(または既製品に少し手を加えたもの)による作品(ニューヨークのアンデパンダン展に、R.MUTTという偽名で「泉」と題された男性用小便器を発表。これを契機にレディメイドが知られるようになる)を散発的に発表したが、後年ほとんど仕事を発表していなかった。
なぜなら、デュシャンには、熱心なコレクターであり、パトロンだったアレンスバーグ夫妻(Walter Arensberg(1878-1954)とLouise (1879-1953))がおり、ニューヨークのアパートをデュシャンなどに貸すとともに、デュシャンの作品を購入した。また、ニューヨークのアパートは、多くの芸術家たちのサロンとして、交流の場所となった。アレンスバーグ夫妻は、個人コレクションを、フィラデルフィア美術館に寄贈し、重要な展示物となっている。
1887 フランスのノルマンディに生まれる。
1911 24歳。ピカビアと出会う。 「ソナタ」「春の若者と少女」「肖像」「階段を下りる裸体 No.1」
1912 25歳。3月のアンデパンダンにて、「階段を下りる裸体 No.2」の題名を変更せよとの展示委員の要求を拒否し出品を撤回。
5月のキュビスム展で「階段を下りる裸体」が初めて展示される。
7〜8月、ミュンヘンに滞在。「独身者たちによって裸にされた花嫁」と題された最初のデッサン。
10月、アポリネール、ピカビア夫妻と自動車旅行。メモ「ジュラ=パリ」。「汽車の中の悲しい青年」「急速な裸体たちに囲まれた王と女王」デッサン「処女」「処女から花嫁への移行」「花嫁」
1913 26歳。図書館の館員として働きはじめる。図書館を活用して遠近法の研究。
夏、イギリスに滞在。「大ガラス」のメモ。
ニューヨークの美術展「アーモリー・ショー」で、「階段を下りる裸体」がスキャンダルを起こす。
冬、「大ガラス」の実物大デッサン。「自転車の車輪」(最初のレディ・メイド) 「隣金属製の水車のある滑溝」(最初の「ガラス」作品)「チョコレート磨砕器 No.1」
1914 27歳。「大ガラス」の予備的作品を制作。「瓶掛け」をデパートで購入。「チョコレート磨砕器 No.2」「三つの停止原基」(1913-)「薬局」
1915 28歳。6月、ニューヨークに渡る。アレンズバーク夫妻に出会う。「大ガラス」の制作に着手。
マン・レイと知り合う。 「折れた腕に備えて」(「レディ・メイド」と名付けられた最初のレディ・メイド)
1916 29歳。アンデパンダン展創立に参画。デュシャンは陳列委員長。 「櫛」「秘めたる音に」「旅行者用折畳み用品」
1917 30歳。「泉」事件。ニューヨーク・ダダの雑誌「ザ・ブラインド・マン」に抗議文(無署名)と「泉」の写真が掲載される。 「罠」(コート掛け)「帽子掛け」「エナメルを塗られたアポリネール」(1916-)
1918 31歳。 「Tu m'」(最後の油絵)
1919 32歳。 「不幸なレディ・メイド」 「パリの空気」「L.H.O.O.Q」
1920 33歳。マン・レイが、女装したデュシャン(ローズ・セラヴィ)を写真撮影。 「Fresh Widow」
1921 34歳。「ニューヨーク・ダダ」誌発行。 「ローズ・セラヴィよ、なぜ、くしゃみをしない?」
「Belle Haleine」
1923 36歳。「大ガラス」の制作を停止
ブランクーシの彫刻「空間の鳥」シリーズ(-1941) 「お尋ね者」
1926 39歳。「大ガラス」の展示。搬送中にガラスが破損。
ブランクーシの彫刻「空間の鳥」が、ニューヨークの税関で機械部品と判断され、裁判沙汰になる。
1934 47歳。「グリーン・ボックス」出版
1935 48歳。「大ガラス」の修復に没頭
1937 50歳。 「グラディヴァのためのドア」
1941 54歳。「トランクの中の箱」出版。
1944 57歳。裸体のデッサン(「遺作」のための最初のスケッチ)
1946 59歳。「遺作」の制作開始。
1947 60歳。ドローイング「マリア、水の落下、照明用ガス、が与えられたとせよ」 「1947年のシュルレアリスム」展カタログの表紙
1948 61歳。「遺作」の習作のレリーフ「照明用ガスと水の落下がが与えられたとせよ」を制作。(マリア・マルティンスに贈る。)
1959 72歳。 「わが舌はわが頬のうち」「死拷問の静物」
1965 78歳。大回顧展。
1966 79歳。「遺作」完成
1968 81歳。10月2日、死去。墓碑銘は、「されど、死ぬのはいつも他人」
↑ ドローイング「マリア、水の落下、照明用ガス、が与えられたとせよ」
遺言により、フィラデルフィア美術館のみ門外不出の遺作は1969年に初公開された。
木の扉に穴が開いており、そこから覗けば光の効果によって実際水が流れているような滝があり、前景に裸体の少女が横たわっているという作品。
この記事へのコメント
遺作を見たのを思い出しました。
東野さんの授業も楽しかった。




