October 26, 2008
ちょっとくらいハッタリかましたれっ!
井上靖は京都帝大卒業後、「サンデー毎日」の懸賞小説で入選し、それが縁で1936年に毎日新聞 学芸部に入社する。(29歳) 当時の部下に小谷正一氏(24歳)がいた。小谷氏は、1946年に 『新大阪新聞社』 (小谷氏34歳)を創刊する。この創刊誌の宣伝のために、戦後の混乱も冷めやらぬ時に、甲子園で闘牛大会を主催したことを題材にした本作で第22回芥川賞(1950年)を受賞した。これをきっかけに井上は、毎日新聞を辞めて作家に専念するが、14年間の記者生活で培ったリアリズムの原点が本作にある。
また、この突拍子もない発想を実現させた小谷正一氏(1912年兵庫県生)は、下記のようなとんでもない業績を残した人物である。
アメ車を颯爽と乗り回し、ときにはドスのきいた声で凄むインテリ・ヤクザの小谷を、大阪のマスコミ界はいつしか「パッカードに乗った次郎長」と呼ばれていた。仲間から「今一番不可能な仕事は鉄のカーテンの向うから誰かを呼ぶことや」といわれ、小谷は3年をかけてダビット・オイストラフを招聘。
1946年 『新大阪新聞社』(小谷氏34歳)を創刊
1948年 「パ・リーグ創設」
1951年に日本初の民間ラジオ放送局 『新日本放送局』 (現在の毎日放送) 開局(初代社長) * これも井上靖が「貧血と花と爆弾」として小説の題材にしている)
1954年 ダヴィッド・オイストラフ(ソ連のバイオリニスト)を招聘 * 井上靖「黒い蝶」の題材となる
1955年 マルセル・マルソー(パントマイム)日本に初めて招聘
1955年 『大阪テレビ放送』設立
1956年 『週刊新潮』発刊に参加
1961年 電通 ラジオテレビ局長 (その後、顧問)
1966年 個人事務所『オフィスK』設立
1970年 大阪万博では住友童話館、電力館をプロデュース。
1985年 第1回 『東京国際映画祭』総合プロデューサー
1987年 NHK放送文化基金 番組審査委員会委員長
放送批評懇談会 会長
横浜こども科学館理事
他にもサトウサンペイ(漫画家)、辻久子(バイオリニスト)、ジョージ川口(ジャズドラマー)、フランキー堺(俳優)をデビューさせている。
◇小谷正一の名言
「ちょっとぐらい、ハッタリかましたれ」
「クズをがさがさと置いたって、みんな感動しない。呼び物を一つだけ作って、バチッと金を使って見せればいいんだ」
「ウォルト・ディズニーは、自分の趣味を人に押し付けるより先に、まず徹底的に相手の立場に立ってものを考える。そういう人間だった」
「エンターテインメントの基本は模倣」
「『好き』は尊敬につながり、『尊敬』は誠意につながる」
「クリエイターが表に出たら終わりや」
「プロデューサーは黒子に徹すべし」
「いつだって時代は過渡期だし、キャンバスは真っ白なんだよ」
◇小谷正一のエピソード
「パントマイムの第一人者マルセル・マルソーを招いたとき、マルソー夫人の買い物に部下を同行させ、
「女性が買い物をするとき、ふたつのうちどちらにしようか迷うときが必ずある。迷って捨てた方を全部記録してこい」と命じ、帰国の際に、夫人が迷って買わなかった商品をまとめてプレゼントした。
女性が最後まで迷ったというのは、その商品を気に入った証拠である。中には、あちらを買えばよかったと後悔したものもあったろう。小谷はそれを全部買って贈ったのだった。」
「阪急グループ総帥、小林一三は「梅田コマ劇場はきみのために造った」という殺し文句で小谷を引き抜こうとした。」
「オイストラフ歓迎の宴が、高輪光輪閣(旧高松宮邸。当時は来日VIP用迎賓館。支配人は後にイタリアレストラン『キャンティ』を興す川添浩史である)で催された。小谷正一と親交が深かった飯倉のイタリア料理店『キャンティ』のオーナー川添浩史は、富士グループ館の総合プロデューサーを委託され、富士銀行頭取の植村攻に、「万博というのは、大変な仕事です。あなたか私のどちらかが必ず死ぬでしょう」と言い、その言葉通り、万博開催の2ヵ月前に肝臓癌を悪化させ、世を去った」
「和田誠は、ラジオ演出家、和田精の息子で、和田精は小谷に請われて日本初の民間放送『新日本放送』の開始に尽力している。また小谷が手がけた最後の大仕事は、東京国際映画祭のゼネラル・プロデューサーである。小谷は、映画祭のシンボル・マークのデザインを、「まこちゃん」と呼んで終生かわいがった和田誠に依頼している」
この記事へのコメント
福田さんのメールに、僕のmixi日記でオープン返信(笑)しときました。見といてください。
初めて投稿させていただきます。
小谷さんのプロフィールの中で、1966年 個人事務所『オフィスK』設立とありますが、これは「デスクK」ではありませんか?
もしかすると「デスクK」を設立する前に、『オフィスK』を設立されたのかも知れませんが。
実際は小谷事務所の方の呼び方の方が多かったようにも思いますが。



